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【冒頭抜粋】
「結論から言って、幕乃宮学園が謳っているXYZとは何なのか。実際に居てみて、君はどう思った?」
それは一週間前、都内のファーストフード店での話。祖国からやってきた上司にそう問われ、俺は内心で少し苛立つ。このクソ上司め。幕乃宮学園の言うXYZとは何か。そんなものは幕乃宮学園のパンフレットにも、公式ホームページにも載っている。少し調べれば解ることだ。それぐらい調べてから日本にきてほしい。この上司は、本当に祖国の諜報機関の役職者なのだろうか。
落胆の息を吐きながら、俺は頭の中に叩き込んである知識を引っ張り出し、暗唱する。
「要するにXYZとはこの幕乃宮学園の最高の評定。最高の偏差値の事です。幕乃宮学園は幼小中高大一貫教育の一貫校で、次世代を創る人間、いわゆる『次世代派』の人材教育をコンセプトとしており、一般的な学力測定を目的とした試験は行わず、幕乃宮学園の幼稚舎から大学まで一貫した学園独自の定期考査、通称Z試験を行っています。入学試験においてもこのZ試験を採用しており、この試験において最低評定より下の不適合とされれば、そもそもこの学園に入学する事ができません。Z試験の評定はAからZのアルファベット二十六に一つプラスした二十七段階評価となっており、基本的にはAが一番低く、Zが一番高い評定ですが、このZ試験で最も優秀な人間についてはZ評定よりも上の『XYZ』という評定となります。このZ試験で最低の評定であるA評定ですら日本国民全体の百人に一人……つまりはこの幕乃宮学園に入学する事が可能な人間は百人に一人であると言われています。幕乃宮学園とはZ試験の評定を基準として、天才的な人間が集められている場所であり、その中でも『XYZ』の評定を持つ人間は、天才の中の天才、最も『次世代派』な人間という事かと」
俺がそう答えると、上司はアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら嘆息する。
「最も『次世代派』な人間ねぇ……。そんな綺麗な言葉で流して良い話なのかね。この幕乃宮学園が、例の事変が起きた場所である事は、揺るぎない事実だ」
「あの事変については、あれを起こした彼女が別格なだけだと思いますよ。幕乃宮学園は、たまたま舞台となっただけ。可能性の話しか出来ませんがね。幕乃宮学園は普通の学園です。彼女は彼女であり、別に舞台が幕乃宮学園でなくても、仮に日本でなかったとしても、全く同じ事変を起こしていたものと考えます」
「ふむ。確かに彼女が別格だったというのに異論はないがね。……ところで、君はその幕乃宮学園の入学試験に合格し潜入活動をしてる訳だが、その独自の定期考査、Z試験とはどんなものだった? 君の率直な感想を聞きたい」
「そうですね。……正直、祖国の情報機関員適正試験を彷彿させるような――――」
俺が言葉を紡いでいたその最中である。突然、俺のスマートフォンが甲高い音を発した。スマートフォンの画面を確認すると、一通のメールを受信していた。シンパからのメールである。本文は非常に短いもので、今夜夕飯どっか食いにいかね? であった。これは俺とシンパと間で決めてあったある種の合言葉。特高警察がそっちに向かっているから逃げろ、という合図である。
「特高に気づかれた様です」
そう俺が短く告げると、上司は面倒くさそうな様子で椅子から腰をあげた。
「この国の特高警察は戦後GHQに潰されたと聞いているが。……まぁいい、ではまた会おう。ドジって死ぬなよ」
俺は鼻先で笑う。
「こんな平和な国で、どう死ねって言うんですか。この国は生きる事よりも死ぬ事の方が難しい。幕乃宮学園には確かに日本中から天才奇才が集められていますが所詮は子ども。確かに特高警察の様な超法規的な機関はありますが無能なやつらばかりだ。俺が前にいたモスクワやワシントンと比べればイージーすぎて天国みたいなもんですよ。丁度良いバカンスだ。正直、私には役不足ですよ。この任務は」
「役不足、か。正しい使い方だな。最近は誤った意味で使う日本人も多いが……まぁどうでも良い話か」
そんなを会話を行い、俺は上司とは別々の出入り口からファーストフード店を出た。それが俺とその上司の最後の接触である。
そう、俺は心のどこか舐めていたのだ。特高警察と他国の同業者である諜報員だけを警戒しておけば問題ない。そう考えていた。しかし本当に危険で、警戒すべきだったものは、特高警察でも他国の諜報員でもなく、この幕乃宮学園に在籍している子どもだった。
【冒頭抜粋】
第一話 シルバーグラスがウィザードされた箱
1
多摩川土手に死体が転がっていた。
まだほんのりと肌寒い、五月の夕暮れのことだった。
土手の斜面では若い男女が頭突きを繰り返していた。河川敷ではバットを担いだ少年たちが睨み合っていた。サイクリングロードをアメリカ生まれの女の子がとてとて歩いていた。彼女の背後に男がピタリと張り付いていた。
そんな賑やかな空間に、死体はこの上なく場違いに転がっていた。
土手の上からごろんごろんと、派手にバウンドしながら。
学生カップルや、野球少年や、アメリカン・コッカー・スパニエルと彼女を散歩させる男に見守られながら。
「ミズハ先輩、なんてことするんですかっ!」
僕は慌てて転がる死体を追いかけた。伸びた雑草をかきわけつつ、首だけ振り返って背後の少女に抗議した。
土手の斜面の最頂点。ガードレールに腰掛けた水端水端(みずはしみずは)は、自分が転がした死体を見てくすくすと笑っていた。
肩に乗らない黒髪が、つるつると風に揺れている。ほっそりとした首筋に、桜の色が映えている。ちょっぴりつり目の瞳には、きっと大いなる魔力が宿っている。
ミズハ先輩は、見た目だけなら可憐な美少女だった。
けれど、十七歳の女の子は幼児のように残酷非道だった。
先輩はいつも『死体なんてただの肉塊』とうそぶいた。『体なんて所詮は魂の器だよ』と、お菓子の空き箱を捨てるように死体を粗末に扱った。
でも、僕は違う。
死者には常に敬意を払うべきだと思っている。魂の抜け殻だからって、こんな風に傷つけていいわけがない。まして衆人環視に晒して濡らして辱めるなど言語道断の所業無情だ。
「止まれ!」
僕は転がる死体を懸命に追いかける。
学生服を着た少年の死体は、小石を飛ばして猛然と斜面を転がっていく。高速で回転し、空中でトリプルアクセルからダブルトゥループへつなぐ。
やがて平坦な河川敷に到達すると、物言わぬ彼はようやくスピードを緩めはじめた。
「そのまま! そのまま止まれ!」
腕を伸ばして必死に死体に追いすがる。
もう少し。あと少し。追いつけ。追い越せ――。
「ああ……!」
僕の全力疾走もむなしく、死体は寝返りを打つようなゆったりとしたベリーロールで、春の多摩川にどぼんと落ちた。
飛沫の王冠の中央に、少年の遺体がぷかりと浮き上がる。
先輩はなんてむごいことをするのだろう。あの人は絶対にサディストだ。死体を冒涜して痴態に恍惚とする稀代の変態だ。変態の美少女だ。美少女だ。美少女。
「くっ……!」
僕は歯噛みしながら川に入り、くずおれるように死体の背中に触れた。
そのまま少年と同化して、ざぶざぶと水から上がる。ひどい。パンツまでびしょ濡れだ。おまけに全身痣だらけだ。
河原の人々が注目する中、濡れた体でとぼとぼ斜面を登っていく。
土手の頂点の数歩手前。
見上げたミズハ先輩は、きらきらと目を輝かせていた。風にまくれるスカートより、水の滴る僕が気になるらしかった。
その場でコーギーのように体を振り、ぷるぷると水分を飛ばす。
先輩は濡れるのも構わず、じっと目を見開いていた。
「……見えましたか、虹」
ガードレールに腰掛けて、不満の半目を隣人にぶつける。
「うん。ドキドキした。やっぱり犬洗(いぬあらい)くんは魔法使いだね」
ミズハ先輩は茜色の空をバックに微笑んでいた。さっきみたいな意地悪な顔ではなく、「満足!」と言わんばかりに目を閉じ口を綻ばせていた。
僕とミズハ先輩は一ヶ月前にこの土手で出会った。
あの時も僕は先輩に殺されて、体が斜面を転がった。そうして川から上がって体を振って、地面に小さな虹を描いた。
【冒頭抜粋】
第一話 籠の中の記憶探偵
■ 六月四日 十六時三十分 / 私立平坂高校 音楽室
音楽室の扉を開けた瞬間だった。
首を吊った死体が、俺の目の前にぶら下がっていた。
天井から延びたロープから垂れ下がっているのは、力の抜けた男の四肢。
もちろん足は宙に浮いている。首の骨が折れているのだろうか。死体は奇妙な角度で首を垂れ、上目づかいとも言えるような顔を俺の方に向けていた。
最初に感じたのは恐怖でも混乱でもない。頭が真っ白になる感覚だ。続いて、ようやく動揺が襲い掛かってくる。
目の前の光景は夢でも幻覚でもない。間違いなく現実だ。
今にも眼窩からはみ出しそうに飛び出た、暗く光の無い瞳。俺をじっと見つめる、異形の眼差し。
足が動かない。首が動かない。
その時だった。
「どうしたの、ケージ?」
聞き慣れた女の声が引き金となり、ようやく俺の体が硬直から解き放たれた。
振り返ると、女の顔。小顔で化粧気が薄い顔立ちに、ぴんと外側に跳ねたミディアムロングの癖っ毛。そして、猫を思わせるやや釣り上った大きな瞳。
友人の風間祈衣が、俺の顔をじっと覗き込んでいた。
「人が……人が死んでるんだよ!」
「困ったわね。このままじゃ練習できないわ」
「そう言う問題か!?」
思わず叫ぶ。変わり者だと言う事には気付いていたがここまでとは思わなかった。
「文化祭まで後三カ月。部員もわずか三人なのにどうしよっか」
「いや、どうしよっかじゃないだろ」
「しかも、もう一人の部員なんてまだ来てないし」
「まぁ、黒川は遅刻常習犯だからな。ってそうじゃない! 死体だよ死体!」
二学年下の後輩の顔が一瞬、目に浮かぶ。だがそんな事は今はどうでもよかった。問題は俺達の目の前に死体がある、という事実なのだから。
「冗談冗談。分かってるわよ。高校生探偵の出番って言いたいんでしょ?」
叫ぶ俺に対し、風間が現実離れした奇妙な発言をした。
高校生探偵。風間祈衣と言う女はミステリやサスペンスものが大好きで、ことあるごとに探偵を自称している。
事実、校内の出来事に限れば、定期テストの順位から同級生の三角関係の内部事情まで完璧に把握しているらしい。俺に言わせれば探偵と言うよりはワイドショーだが。
「あたしのカンが言ってるの。この事件は殺人の可能性があるって」
とんでもない発言だった。彼女の表情に冗談はない。真顔で、真剣に、俺を真っ直ぐに見据えていた。
【冒頭抜粋】
それはまるで、見つめていると風の音が聞こえてきそうな、神秘的な少女の絵だった。
信号待ちの間、何気なく視線を移した画廊の中にその絵を見つけ、玉城(たまき)はブレーキの効きにくい自転車を足で止めながら暫し心を奪われた。
日だまりのような淡く光るワンピース、空気に溶けてしまいそうな白い肌、黒い瞳、亜麻色の髪。
街の喧噪も消えていくような気がした。
けれど今の彼は悠長に絵を眺めていられるような状況ではない。
街金に借りたお金の返済期日は今日まで。
50万という金額は、収入が不安定なフリーライターの玉城には、かなりな大金だ。
もちろん無計画に借りたわけではなかったが、当初の予定だった仕事にキャンセルが入り、まるきり返済計画が狂ってしまったのだ。
街金と言ってもヤクザではない。頼み込めば何とかなるかもしれないと、祈るような思いで玉城はガタの来た自転車を走らせた。
「はあ? あと2週間待てとおっしゃいましたか?」
薄暗い店舗内で坊主頭の従業員が玉城を見据え、引きつるように笑った。
『グリーンライフローン』。爽やかなのは借す時の接客と、名前ばかりなのか?
玉城の笑顔も引きつった。
「すみません、それまでには原稿料が入ってくるはずなんです。半分は返せると思うんです」
……思えば、あの詐欺に合ってなければこんなところで金なんか借りなくて済んだ。
玉城は一ヶ月前に起きた災難を腹立たしげに思い出していた。
『当たり屋』なんてものが本当に存在するなんて、まして自分が被害に遭うなんて思っても見なかった。
仕事仲間に車を借りて取材先まで行く途中の路地で、その当たり屋は車の前に飛び出してきたのだ。
その中年男は、緩いスピードで徐行していた玉城の車の前でひと跳ねした後ごろんと寝転び、役者顔負けの演技で被害者を装った。
瞬間、目の前の出来事に玉城はパニックになり、飛び出すや否や、男を抱き起し、ひたすら謝った。
「ああ、何とか大丈夫です、かすり傷ですから。どうでしょうね、示談と言うことにしませんか? 免停にならなくてすむでしょう? おや、あなたの車では無い? それなら尚のこと、面倒は避けた方がいいんじゃないですか?」
ただ謝るばかりの玉城にその男は優しい笑顔でそう言った。50万という金額を提示して。
それが詐欺だとわかったのは金を渡した後だった。
あんなに簡単に人は騙されてしまうものなのだ。玉城は改めて思い知った。
「半分って言いました? 残った半分にまた利子が付いて膨らみますが、分かって言ってますか?」
坊主頭は更にグイと玉城に顔を近づけた。
かろうじて敬語だが、顔はどう見ても威圧しているとしか思えない。玉城の端正な顔が次第に青ざめていく。
「そこをなんとか……」
「なんともできませんね、お客さん。こっちも信用して貸してんですよ。リスクしょって。そっちも誠意見せてもらわないと。なんなら体で払って貰いましょうか?」
もう敬語の意味がわからない。そして冗談にしては質が悪すぎる。
血の気の引いた頭で玉城は絶望的にうなだれた。八方ふさがりだ。
「ねえ、そこのあなた。もし良ければ、その借金と引き替えに一つバイトを引き受けて貰えないでしょうかね」
突然しわがれた声が店のパーテーションの後ろから聞こえてきた。
「小宮社長……」
坊主頭が声の方向を振り返る。
パーテーションの後ろから出てきたのは、白髪交じりの頭に白い口ひげの男。社長の小宮だった。
社長、というより、「小宮老人」と言った方が近い。年齢不詳だが、白い髭のせいで老人に見える。
「どうですか?玉城さん」
小宮老人は顎髭を触りながら、玉城にニッコリと笑いかけた。
【冒頭抜粋】
あ、と思ったときには、もう遅かった。ついさっきまで感じていた腕への重みがない。そこかしこに散らばっている本が理由を語っていた。ここの曲がり角は視界が狭まるから普段から気をつけていたはずなのに、こんな荷物が多い日に限って。
衝撃はそう感じなかったので痛みはなかったが、相手のほうはわからない。本の角は時に思っている以上に凶器で、特に今日は判の大きい、分厚くて表紙のしっかりした本ばかりを持ち運んでいたから、なおさら使い方によっては鈍器に代わる。何よりもまず本を落してしまったという事実に一瞬茫然と立ちつくしてしまったが、すぐに我に返ってすみません、と頭を下げる。しかし顔をあげてもそこに相手の姿はなかった。しゃがみこんで散らばった本を拾ってくれている。その姿を見て、男性だったのか、とぼんやり思いながら、慌てて同じようにしゃがみ、本を拾っていく。思いのほか広い範囲に落してしまっているのは、判の大きいもののほかに、文庫や新書も含まれているからだ。軽い本は、時に驚くほどよく飛ぶ。
最後の一冊になったとき、ぶつかった相手と手をのばすタイミングが一緒だった。反射的に顔をあげると、相手も同じように目をこちらに向けた。そしてにっこりと笑う。つり目で切れ長で、鋭い印象を受けそうなものだが、黒目が大きく、愛嬌のよさを感じた。
見たことのある顔だ。国文学科の研究室の隅に腰掛けているのが思い出される。
「ありがとうございます」
本を受け取りながら伝えると、またにっこりとして去っていった。笑顔のわりに彼がしゃべらないのが少し引っかかったが、戻ってきた重みに視線を落すと、曲がった跡が目に入り、その引っかかりはすぐにどこかへ消え去ってしまった。思わず小さなため息をつく。本好きには読めればそれでいいタイプと、本そのものを大切にしたいタイプがいると智枝子は思っているのだが、それでいえば彼女は明らかに後者だった。この本を取ってくるように頼んできたるり子も同じ類であるから、この状態の本を見れば少し眉根を寄せるに違いない。
今度は落さないようにとさっきより入念に抱きかかえて、るり子の部屋へと足を速める。
るり子は智枝子にとって、伯母であり姉であった。姉というのは比喩であるが、伯母のほうは事実だ。母と一回りも歳の離れた母の姉がるり子である。幼いころはよく彼女のもとに預けられ、多くの時間を過ごしていた。とはいえ物心つくころの母の記憶がない、というほどでもないから、るり子を母ではなく姉のようだと思うのは、そういう距離感が関係しているのかもしれない。
ドアを開きっぱなしにして、代わりに暖簾を垂れ下げているるり子の部屋へと入っていく。こうしたほうが学生と交流が取りやすく、また両手がふさがっているときにも便利なのだそうだ。智枝子の本分である学業が忙しくなる実験期間前、つまり今の時期などにはこうして手伝いに来ているのだが、そうでない日をるり子は助手を雇わず一人で職務を全うしている。今のように智枝子が抱えている凶器のような本たちも、普段はるり子自身が持ち運んでいるということだ。暖簾の横には「国文学科教授 波間るり子」と書かれた名札が掲げられていた。
「るり子さん、持って来たよ」
本棚に囲まれた部屋の隅で机に向かっている伯母に向かって声をかける。おう、と言ってるり子は読んでいた冊子から顔を上げ、老眼鏡の間から智枝子を確認した。銜えていた煙草も灰皿へと乗せる。ただし火は消さなかった。
軽くうねりのある白い髪を無造作に後ろへやり、老眼鏡を外して大きく伸びをした。肩よりも長いその白い髪が、るり子を実年齢よりも老けて見せている。智枝子はその見事なまでに真白なるり子の髪がすきだ。昔は黒く染めたりしていた記憶があるのだが、ある日「もう髪を染めるのはやめる」と宣言をし、翌日会ってみれば黒かった髪が真白で驚いたのがいつまでも鮮明である。