「ディーゼル機関を積んだ丙型海防艦の1号艦です。天津風、第134号海防艦と共に本土を目指しましたが、B-25の空襲を受けて戦没しました。乗員のみなさん、私が無力だったばっかりに…。」海防艦は水底で涙を流すか丙型/丁型海防艦は相次ぐ徴用船撃沈によって戦力増強が急務となった船団護衛用に、今までの造船...
続きを見る「ディーゼル機関を積んだ丙型海防艦の1号艦です。天津風、第134号海防艦と共に本土を目指しましたが、B-25の空襲を受けて戦没しました。乗員のみなさん、私が無力だったばっかりに…。」
海防艦は水底で涙を流すか丙型/丁型海防艦は相次ぐ徴用船撃沈によって戦力増強が急務となった船団護衛用に、今までの造船所では建造できない大型の鵜来型を小型化し、建造できるようにした戦時設計の海防艦です。
丙型は潜駆艇用のディーゼルエンジンを搭載、丁型はそのエンジンすら調達しきれそうもなかったので戦時標準船用のタービン機関を積んだ船であり、両者の設計は共通でした。微妙な違いはありますが。
1号海防艦はその1番艦で、国民からの献金によって建造されたことから報国第1号海防艦とも呼ばれました。
就役後の訓練もそこそこに南方航路の護衛に投入されますが、この時の手記はありません。
何故なら、その最後はあの”有名な写真”だからです。
フィリピンの喪失と南シナ海への空母機動部隊の侵入は上層部に衝撃を与え、もはや南方航路の切断は時間の問題でした。
まだ航路が生きている間に出来る限りの資源送還を…そうして南号作戦が発動されました。
1号海防艦が護衛した船団はヒ88J船団。ひとつ前のヒ88I船団と共に、輸送船と護衛の海防艦ごと消滅しました。
南方航路最終船団となったヒ88J船団は次々と参加輸送船を喪失し、海南島の愉林に着くまでにすべてを失いました。海防艦と天津風だけとなった船団は日本をめざし北上を続けますが、1号海防艦、134号海防艦、天津風だけとなった船団にB-25が襲い掛かります。
爆弾の直撃を受けた1号海防艦は右舷に横転しながら沈没、海上を漂う生存者に対して機銃掃射が行われ総員戦死、壮絶な最後を遂げました。
閉じる