1944年6月19日、マリアナ沖海戦に参加した空母翔鶴は航空隊発進の最中に米ガトー級潜水艦カヴァラの魚雷攻撃を4本右舷に被弾。注水作業を行うも艦首が著しく沈下。その後先立つ魚雷攻撃の被害で気化した航空燃料が艦内に充満、ついに大火災を起こし、14時1分乗組員1272名と共に海底へと消えていった。生...
続きを見る1944年6月19日、マリアナ沖海戦に参加した空母翔鶴は航空隊発進の最中に米ガトー級潜水艦カヴァラの魚雷攻撃を4本右舷に被弾。注水作業を行うも艦首が著しく沈下。その後先立つ魚雷攻撃の被害で気化した航空燃料が艦内に充満、ついに大火災を起こし、14時1分乗組員1272名と共に海底へと消えていった。生存者は軽巡矢矧、駆逐艦秋月に収容された。翔鶴の喪失により大日本帝国海軍の空母戦力は事実上の空母機動部隊としての作戦運用能力を失うことになる。
被害担当艦、不幸艦とも言われた翔鶴であるが、このマリアナ沖海戦まで機関部へのダメージは0であり、これだけの被害の中では幸運とも言えよう。
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