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この作品 「1214年7月27日“決戦は日曜日”」 は 「フィリップ2世」「13世紀」 等のタグがつけられた作品です。

敵に背を向け、王はどこまで逃げるのか?と諸君は気がかりなのだろう。誓って余は逃げ...

Legionarius

1214年7月27日“決戦は日曜日”

Legionarius

2017年1月21日 18:20
敵に背を向け、王はどこまで逃げるのか?と諸君は気がかりなのだろう。誓って余は逃げはせぬ。戦うべき場所を探しているのだ。団結し、一軍として行軍する我らに対し、連合軍はじきに長蛇の隊列と化す。無論アレクサンドロスほどの戦術家でなければ戦力差3対5では勝てぬ。だが3対1を5回勝ち抜くのは容易い。如何な...続きを見る
敵に背を向け、王はどこまで逃げるのか?と諸君は気がかりなのだろう。
誓って余は逃げはせぬ。戦うべき場所を探しているのだ。

団結し、一軍として行軍する我らに対し、連合軍はじきに長蛇の隊列と化す。
無論アレクサンドロスほどの戦術家でなければ戦力差3対5では勝てぬ。
だが3対1を5回勝ち抜くのは容易い。如何な大軍であろうと戦場に到達せねば存在せぬも同然だ。
連合軍に比べ、統率に優れる我らは自在に選べるのだ、時と場所の両方を。

その時こそ我々は振り返って客人をもてなせば良い。
案ずるな、周到に備えれば勝利の果実は自ずと熟し、我らの掌に転がり落ちてくるだろう。
今は臆病なフランス王とでも思わせておけば良い。

神の加護を授かりし勇士達よ、真の勝者が愚かな犬の様に徒に吼え猛る必要はない。
敵に感謝しようではないか。
彼らはその賞賛すべき勇敢さと想像力の欠如と侮りによって滅び、我々に栄光と勝利を献上するのだ。
――オーギュスト言行録、ブーヴィーヌより(法螺)――

秩序ある隊形を組んだ騎士と従者は大急ぎで戦に備えた。戦士達が轡を締め、甲冑は太陽の光で輝き、まるで日光が倍加した様だった。風にはためき林立する軍旗は惚れ惚れする様な壮観なる眺めであった。
――ブーヴィーヌの戦いについてのマルシエンヌの記録

フランスと言えば中世においても強国の一つでしたが、当初のフランス王は名誉職に近い存在で権威のほかは実権に乏しく“王国”には有力諸侯が割拠し、その権力が及ぶのはパリ周辺に限られていました。特に12世紀には通称アンジュー帝国(英仏、アイルランドに跨る)、プランタジネット家の支配領域がフランスの西半分に及び、王国は後の栄華からは想像できないほど細やかな存在に留まっていました。

歴代の王は王権強化を試みましたが、12世紀後半に到っても王国の権力基盤は確固たるものとは言えない情勢にありました。
こうした状況下に即位したのが後にオーギュスト(尊厳王、アウグストゥスに由来)と呼ばれるフィリップ2世(在位1180-1223)です。

フィリップの在位9年目、教皇の呼びかけにより第3回十字軍が開始されましたが、1190年には早くも第一陣の皇帝フリードリヒ1世が川で溺死、その軍勢は解散。フィリップはイングランドの獅子心王ことリチャード1世と十字軍を続行しますが、アッコンが陥落するや病気を理由に帰国しています。彼はしばしば教会の干渉に不満を漏らしており、ある年代記によれば「教皇のいないサラディンが羨ましい」と述べたそうで、宗教的情熱とは縁遠い王だったようです。いずれにせよ、フランス王権と大陸領土の確立を現実的課題とする彼にとって、何の益も無い聖地奪還が優先目標となり得なかった事は想像に難くありません。

帰国した王は獅子心王の弟ジョン(欠地王)を唆し王位簒奪を勧め、英国の混乱と弱体化を図ると同時に領土の奪還を試みました。しかしこの簒奪は失敗、帰国したリチャードに大敗し、奪還に成功した領土も再び獅子心王の手に戻りました。
が、1199年に戦上手のリチャードが戦死した事でジョン王が即位、フィリップは息を吹き返します。

1200年、ジョンが既に婚約者のある貴婦人と結婚、これは虎視眈々と機会を窺うフィリップにとってまさに絶好の機会でした。当の婚約者がフィリップに訴え出た為、王はジョンを問い質す為に召喚(ジョンはフランスにおいてフィリップの封建臣下である)しましたが拒否されます。フィリップはこれを以てジョンのフランス領土を剥奪、一部を除きブルターニュ公に任せました。1203年にフィリップが支援していたブルターニュ公がジョンに殺害されたという噂(消息不明)によりフランス諸侯の多くがフィリップに忠誠を誓いました。

1213年にはフィリップが英国侵攻を企図しますが、これはジョンによる教皇への国土の寄進によって支持(教皇の)を失い、中止しています。

1214年、ジョンは神聖ローマ皇帝であるヴェルフ家のオットー4世やフランドル伯と協力し、フランスを挟撃する戦略を実行に移しました。フィリップは南部から進むジョンに王太子ルイを、北部の神聖ローマ帝国・フランドル・フランスの反乱諸侯の連合軍には自身が軍勢を率いて当たる事としました。

フランス北部を進む1万5千ほどのフランス軍に対し、連合軍はドイツ・イングランド諸侯を含む2万5千(両軍の兵力は諸説有)、追撃を受けるフィリップは戦端を開くに有利な場所を探し、7月26日の作戦会議でトゥルネーから西へ20㎞のブーヴィーヌを決戦の地と定めました。7月27日、常なら闘争厳禁の日曜日、当時の北ヨーロッパのほぼ全ての支配者が参加・関与した闘い、中世西欧の勢力圏とその後の歴史の流れを決定的なものとした一大決戦、ブーヴィーヌの戦いが勃発しました。

フィリップは追撃を受けつつ戦場を決定する事で主導権を握り、軍を中央と両翼の三つに分けて布陣、追い縋る連合軍を待ち受けました。各国諸侯の寄せ集めであった連合軍は統率を欠き、行軍により長蛇の行列(10㎞という説も)となったまま戦場に到達するや、到着順に攻撃を開始するという愚を犯しました。戦力集中の原則に背いた彼らは寡兵のフィリップにとって格好の餌食となったのです。

連合軍の先駆けフランドル伯フェランの攻撃は右翼(ブルゴーニュ公ウード3世とシャンパーニュ伯)の騎兵に粉砕されました。次いで到着したオットー4世の軍勢はフランス軍中央に攻撃を集中、フィリップが馬から引き摺り下ろされるほどの
激戦が展開されましたが、フランス軍右翼が中央を支援し、戦いの趨勢はフランスへと傾き始めました。激戦の最中にウィリアム長剣伯とブローニュ伯の軍勢も到着しフランスの左翼(ドルー伯ロベール2世)に突入しますが、これもまた優勢に戦いを進める中央と右翼の増援によって撃退されました。こうして大軍なるもばらばらに到着した戦力は各個撃破され、戦いはフランスの勝利に終わりました。

連合軍の撃破という明白な実績はフィリップの権威を確固たるものとし、大陸領土におけるフランスの優位は揺るがぬものになりました。イングランド王家でもあるプランタジネット家を下したフィリップはその領土の多くを獲得し、1223年に彼が没する頃には即位前とは比較にならないほどにその王国は拡大しました。

ジョンの度重なる敗戦と失策に英国諸侯は不満を募らせ反乱が勃発、ジョンは王権を縛るマグナ・カルタを認める事になりました。オットー4世も帝位を失い、皇帝位は“早く生まれ過ぎた男”シュタウフェン家のフリードリヒ2世へと移りました。フィリップ2世はフランス王国の繁栄を目指し、それを成し遂げましたが、彼の活躍と勝利はそれに留まらず、当時の国際情勢とその後の歴史の潮流に非常に大きな影響を与えました。
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戦力の分散・逐次投入は原則的によろしくないですね。戦争はいかに失点を少なく抑えるかが肝要、“敵が間違いを犯している時は、邪魔するな”とナポレオンも言ってます。映画のロビン・フッド(2010年)に登場するフィリップ2世の抜け目ない策略家みたいな雰囲気が気に入ったのでそのイメージで。酒を飲み生牡蠣をパクパク食べながら奸計を巡らす姿が渋いです。閉じる
Legionarius2017年2月13日 22:52なるほど、もっと長期的な立場で見ると長持ちするシステムの端緒はどちらだったかという点も浮かび上がりますね。重要な視点だと思います。 やたろう2017年2月13日 22:16後世のフランス王が「朕は国家なり」と自称した絶対王政の先駆けと言うべき功績を作られた方ですよね。ただ、ジョン王が原因である立憲君主制が生き残ったのを見ると、最後に勝ったのは…と思ってもしまうあたり、考察は尽きません。 Legionarius2017年1月22日 01:41Sorry, Roi - Soleil! Legionarius2017年1月21日 23:41Saint-Louis and l'Affable Charles VIII ! 有德没意志2017年1月21日 21:29Philip II is greatest king for french,but I like Charles VIII and Louis XIV more エピルス28号2017年1月21日 20:20オレが主役、オレが一番と自認する諸侯ばかりでフランス国王も神聖ローマ皇帝も苦労したでしょうね。 Legionarius2017年1月21日 20:19統率が取れていないと戦力を活かせないのでしょう。後の時代に百年戦争と呼ばれるほどずるずると戦う事になるのを思うと指導者の資質は非常に重要だと思い知らされますね……。 Legionarius2017年1月21日 20:06ジョルジュ・デュビー氏の書籍にも鉤で引き摺り下ろされたが上等な鎧と神の加護で、となってますね。旗手や護衛の騎士が救出したとも書かれてますが、相当な混戦だったのかもしれません。 Legionarius2017年1月21日 20:03今の様なはっきりした領域・国民国家とは違うので、何をするにしても旗色がばらばらで油断ならないというか。単純に英仏(あと独?)という括りで見るのも難しく、王は大変な立場だったでしょうね。 尾洲屋与之助2017年1月21日 19:46当時はフランス国王と言っても実権はパリ周辺部程度でしたからね。良い国王を持つとフランス軍は無類の強さを発揮しますね。反対連合軍は戦力の逐次投入と言う愚を犯し数の優位を全く生かせませませんでしたね。 名も無き円卓の鴉2017年1月21日 18:53ブーヴィーヌの戦いにおいて、フィリップ2世は敵の歩兵に囲まれてタコ殴りにされたけど、良い甲冑を着ていたので無傷で生還、味方が助けに来た、という逸話を昔読んだことがあるのですが、どれだけ信憑性があるものか… エピルス28号2017年1月21日 18:45イングランド含めたうるさい諸侯だらけの地で良く頑張ったと改めて。ジョン失地王の挿話で謀略家のイメージありましたが、それだけで名を残すこと無いわけですね。

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