pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

pixivへようこそ

pixiv(ピクシブ)は、イラスト・漫画・小説の投稿や閲覧が楽しめる「イラストコミュニケーションサービス」です。少しでも気になったり、面白そうと思ったら、まずはユーザー登録をしてみてください。 登録、利用は無料です。モバイルからでもアクセスできます。

ちょっと入力するだけ! 簡単!

pixiv新規登録(無料)

他にも便利な機能がいっぱい!

小説家志望

公開グループ
小説家になりたい人のための社交場。某なろうの話題も少しだけしてもいいです。

今のところは、趣味から入ってなんとなく書き上げたい、なりたいという初心者の人から、本格的に小説家になろうという人まで受け入れます~。

基本オリジナル(一次創作)ですが、二次創作のSSでも歓迎します。(ただし、SSは二の次ということで。)
詩でもポエムでもいいです。

●小説家志望の方の質問集
Q&Aその1、2
group/comment/1039432
group/comment/1039438

※注意事項!
小説の投稿のコメ評価感想の場合、辛口評価希望したいときは「辛口評価希望お願いします~!」などと書いてください。


あと、管理人やメンバーへのただの誹謗中傷とか荒らしはお断りしています!




姉妹、「小説家志望R-18」
group/14374
(18歳未満は禁止ですので~!)

「BL小説でプロ作家になりたい!」
group/14375

「ゆるーく小説を書いて楽しむ会(小説書き手の雑談所)」
group/14624
(初心者向け、しかも全年齢OK)





というわけで、管理人だけでなく、メンバーである皆様もこのグループを作っていきましょう~!
失敗の多い管理人ですが、頑張りますので、よろしくお願いします~!
続きを見る ▾
閉じる ▴
  • 大変です、初心者講座が落ちましたw

    ……というわけで初心者講座パート2です。一応前スレッドはピックアップに残しておりますが、近くピックアップも限界数が来ましたので新たに項目を調整いたします。

    初心者に知っておいてほしいこと、また、初心者側からの質問と、レベルアップのための忌憚ない意見を引き続きお待ちいたします。
    続きを見る ▾
    以前のコメントを見る

    > 柿木まめ太@探さないでくださいさん

    批評の原典が神学だからってヨーロッパの批評が全部神学的になってるわけではない。むしろ、テクストの批評はロゴス主義者達の手で編み出された分析体系だからかなり論理的。
    前提としてあるのは「神の意思は論理的であり読み取れるから聖典は解読可能」ではなくて「テクスト自体をを読み手の都合のいいように改ざんしてはならない」であり、批評とは「テクストを一言一句正確に読み取り、その理論がどこまで通用するかを吟味する」ことになります。
    みんな忘れてるけどね、紀元以前にも歴史って存在するんだよ?

    で、まめ太さん興味ありげだし、今後の思考発展の為にもそろそろ神学批判止めてちゃんと哲学の勉強しときません?
    アタナシウス派もニーチェも「ヨーロッパ人のキリスト教」で一緒くたに括るのはかなり横暴だと思うのですよ
    続きを見る ▾
      私個人は宗教不信の考えですけど、別に批評学をそっちと結びつける気はないんですよ。論理の基礎にそれを持ってくる批評家が出ても、別の批評家に反論されていたりしますし。
      理屈の部分を抜き書きしますが、『読者は作者ではない、作者の意図を正確には読み取れない。従って作者の意図するところの作品を追求することは無駄な仕事である』『理解とは、作者の意味の再現ではなく創造的な活動である。解釈行為は無限である。したがって、作品は無限の読者にとって無限の意味を持ちうる』『もし、同時代の二人の読者が違った解釈をしたら、それをどう決定するか。解釈のアナーキーが生じる。』⇒『伝統に従って解釈する読者は正しく、それとはずれる読者は間違っている。』(権威による確定)⇒これがまた、権威ってのが曖昧なもんだから、人によっては神学に戻ってしまう、という感じの流れだと思います。権威をどこに置くかみたいな傍流も出来ているし。まぁ、ダイジェスト版で読んでるんであんまり自信はないですけどね。(笑
      で、私個人は生の人間の生々しいトコは非常に興味深くて面白いと思うんだけど、哲学とかになると、題材にして書く時に調べりゃいいや、程度の興味しか沸かなかったんですよ。このダイジェストもたまたま見つけて、読んだら喧々諤々やってる批評家さんたちの人間像や考え方が面白かったもんで。批評ってのは小説書きに直接関連するものでもあるし。(笑
      けど、キリスト教の教えってのが欧米の人を描くには無視して通れないファクターだと知ってからは、ちょっと興味が深まってますね。イスラム圏を題材にしたら宗教は避けて通れないくらいには、欧米を描くのにキリスト教は避けて通れないらしい、と。(笑
      宗教や哲学自体にはまるで興味が涌かないんで、どうしたもんかとか思ってたりしますけど。「おいしんぼ」の件とかあるし、正しい知識は仕入れておくべきってのは解かるんですが、(私にとっての)時間掛けるほどの価値をあんまり感じない・・・。(苦笑
      ハーレクイン系を書くなら勉強しなきゃな知識だけど、単なるファンタジーなら必要ない、日本の現代ならなおさら不要っていう特殊情報じゃないですか、しかも膨大。ほんっと、触りたくないってのが8割ですね。(苦笑
      それをネタにしたのを考え付いた時には調べますよ~。(ヘラヘラ
      続きを見る ▾
        小言:アナーキーは形容詞 名詞形はアナキスト 概念はアナキズム

        んでもって、批評に権威ヒエラルキーを持ち出したのが神学だからと言って、権威で批評する人たちが全部神学的な思考に陥ってるとは言い難い。
        無論権威へ盲信してる人もいるだろうけど、権威の利用と権威への従属は違うのよね。精神分析で物事批評してる人がフロイトを全面肯定してるわけでなし。

        まあ、勉強はダイジェストだけで満足してちゃいけないよ、とだけ言っておこう…
        続きを見る ▾
          いや、だから”人によっては”と注釈入れてますがな。(笑
          権威をどこに置くかというので、歴史主義に行ったり、共通認識へ行ったり。相対論ってのは否定されていて、だけど権威を持ち出すとたいがい袋小路へ行って堂々巡りになるみたいで、科学が相対論を認めるに合わせてその概念がこっちにもようやく認められるようになった、という感じの締めになってましたよ。で、私の勉強は批評そのものより本来は文章の書き方や表現法の方をやりたいんで、余計な回り道だと思いながらやってるんで、これ以上は不要です。
          これをテーマに書きたいというモノもないのに、無駄な事をしてるってのは思ってるんです。時間は無限じゃないでしょ?(笑
          本道から横道に逸れたトコを走ってんですよ、今。ジレジレしながら、とりあえず縁があった本なんで読破しとこうか、くらいのモンです。本当はそんな事よりせっせと作品を書くべきなのだろうけど。
          嬉しがりがちょっと聞きかじったことを言ってみただけです、本格でやってる人にはカチンとくる部分も多かったと思いますが。
          進むつもりもない道を行っても仕方ない、早いとこ本道へ戻れって話ですよね。お騒がせしました。
          続きを見る ▾
            うーん、ここと決めて切り捨てるよりは興味があるうちに徹底して寄り道しまくった方が創作で使えるカードは増えていくんだがな…
            うおーんどうして互いに喧嘩してるみたいな文面になってしまうのだ…

            とりあえず一言
             穿り回した私が悪う御座いまするぅ・・・
            続きを見る ▾
              そこが迷う点でもあるんですよねぇ。
              実際に今スランプに近くって創作熱が低下してるし、ぐだぐだと無駄に悩むよりも勉強に回せという基本は固まってるんだけど、その基本を、直球で文章技巧の勉強に向けるか、寄り道ついでで知識を深めるか、実はかなり迷ってんですよ。せっかく専門知識持ってる人の近くに来れたのに勿体ないかな、とか。深くやりだすとキリがないんだけど、インデックス程度の知識はこの機会に作っておいた方がいいのかなぁ、とか。ほんと、迷いますね。(迷ってばっかで足踏みはさらにイカンのでスパッと断ち切ろうとは思ったんですが、それでも迷っているという)

              こういう場合はアレですね、”なるようになる!”。(笑
              現時点でどれだけ文が変わったか、少しは実になったか、確かめる為にも一作書きたいなとは思ってんですけど・・・身構えちゃってて書けん。orz
              続きを見る ▾
                さて、このスレッドもいよいよ終わりが見えてきましたが……ここでひとつ、初心者の方もある程度書けると自負されている方にも、覚えていて欲しいことがあります。
                それは、「才能」なるものが水物である、ということです。

                よく才能がある、才能がない、ということをそこかしこで目にしますが、実の所才能なるものは、伸びもすれば衰えもします。その時、その場所、これまでの経験、書きたいもの。それがうまく噛み合うか噛み合わないか。合わせることができるか否か。ただ、それだけです。

                もちろん、センスや嗜好などの要因で伸びやすい、どうしても掴めないものなどはあるでしょう。でも少しだけアプローチや考え方を変えるだけで突破できなかったものが突破出来たり、道が開けることはままあります。そして、他人から認めてもらえることも。

                忘れないでください。才能のない人間などいません。ただ、それを回す歯車が見つかっていないだけ。回し方がわからないだけなのです。
                見つけていない人も、見失った人も。
                進む限りは、必ず何かが見つかります。そのことは覚えていてほしいと思います。
                続きを見る ▾
                  藤花さんとは反対的な『才能』についての意見を。
                   別に藤花さんの人類皆才能があって、使いどころがそれぞれ違うってのを否定するつもりはないです。小説を自己表現の創作物だって、僕自身が言ってる以上才能もへったくれもないですんで。そもそもプロの世界に行かないのなら『才能』の問題なんてないです。努力でだってそれなりの作品は書けるだろうから。
                   だから、僕はプロ目指している人に訊きたい。『才能』はあるかいと。小説という分野に合う才能がない人はいます。上見りゃ分かるでしょう、才能ある人間が書いた小説ってのは他とは違います。そういう作家と勝負するのに才能がなければ、すぐに潰れるでしょうよ。成功には99%の努力と1%の才能がないと駄目なんです。1%の才能がなければ失敗する。確率の問題ではなく、この配分が成功の必須条件なんでしょう。
                   自分に才能を感じられるか。読む側でなく書く側の人間で、追う者でなく走る者であるか。夢見て現実と向かえるか。
                   あると思うなら、全力で想像を開花させて書き起こせばいい。ヒットするかどうかはその時の運だけど、プロになれるかどうかはだいぶ目に見えたボーダーラインがありますよ。分かりやすい例が新人賞ですね。
                   ちなみに、この理屈で言うと僕は新人賞に応募したことないので、才能があるか分からず無謀かもしれないけど、才能があり書く側の人間だと信じてるのでプロ目指しています。
                   結局、自信って大事だねって簡単な話になるんだけどね。人生を簡単に棒に振るような芸術分野へ軽い気持ちで手を出すとヤバいと思うんだわ。後悔しない覚悟もあるなら、たぶん死にはしないだろうから頑張ってみればいい。
                  続きを見る ▾

                    > しゃるのすさん

                    自分も昔、そのあたりで大きな遠回りをしでかしたことがあるのですが、才能の有無を問われたならば、多分自分はこう答えるでしょうね。

                    「才能? ないよ? あったら小説を書く側になんて回ってない」

                    ……とね。
                    これはとことん意地の悪いリドルですが、この意味を考えるまでもなく理解できるならば多分その人は天才です。何の天才か、世の中に認められているかどうかはともかく、ね。

                    まあ、これはほぼ意味のない言葉ですw 下手に意味を考えるより、少しでも自分の大好きを目指して進むのがよろしいかと。
                    そんなことより、ひとつの作品を生むことの方がよほど大事というもの。才能の有無に囚われることは、自分を潰す才能に恵まれた負の天才の所業ですので。
                    なんとなれば、天才なるものは、いつでもどこでも、自分一人でなれるのもなのですから。
                    続きを見る ▾

                      > しゃるのすさん

                      私は二度ほど商業誌(BL雑誌です)に投稿しました。
                       結果は一度目は下から3番目のクラス、二度目はあとひとつ上だったら賞金が貰えたというクラスでした(それなりの大きさで名前が載ったので有頂天)。
                       その後は私生活の急変で、プロになるという目標はフェードアウトしていったのですが、商業誌に挑戦した経験は良かったと思いました。なんというか、「自分はプロになるような器ではない」と判明したからです。
                       結局「自分には才能があるのかないのか」知りたかったら、作品を仕上げてコンテストに挑戦することです。ほんと、それが近道というかそれしかないのでは。
                       なんとなれば作品を仕上げて投稿することも才能の一部だと思います。
                       私が投稿した頃はまだ紙の時代でしたので、作品自体が出来ても投稿するためにはプリントアウトして紐で綴って郵便局に持って行って、という作業が必要でした。
                       はっきり言って作品が出来上がってから投稿するまでの手間が半端じゃなく、投稿の常連者は毎回これをやってるのかと思ったら、それだけで彼女らの根気強さにもう勝てないと思いました。つまりそういう実作業の煩わしさも乗り越えて何度でも作品を作るというのも才能のうちだと。でもそこまで行っても、ようやく最初のスタートラインに立てただけ。プロとして通用するレベルかどうかはまた別の問題。
                       作品作りにどれだけの情熱と時間を傾け、妥協せず諦めず突き詰められるか。そうやって書いても思うような評価が得られないかも知れないです。投稿作に「頑張りました」なんて一筆添えてて出せないでしょう(実際書く人もいたらしいが)。
                       前書きも後書きもなく、ましてや言い訳や補足・弁解も何もない、ただ「作品」だけを見てもらうと、才能に対するとらえ方が変わってくると思います。
                       結論、プロになりたいなら四の五の言わずに作品を仕上げて投稿、です。
                       的外れな意見でしたら、すまみせん。
                      続きを見る ▾