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酷評求む! -無礼講特区- オリジナル小説用

公開グループ
「酷評求む!」とは自分の作品に対する率直な意見をもらうための無礼講グループです。

・自分の相対的な実力を知りたいなら即興小説バトルに参加してみましょう!
 http://sokkyo-shosetsu.com/battle.php

・イラスト・漫画用はこちら→http://p.tl/g/1326

《酷評してもらいたい人》
・まず覚悟をしてください。何を言われても絶対に許しましょう。
・酷評依頼をするには、自分の作品のリンクを貼ってスレッドを立ててください。それだけでいいです。1作品ごとに1スレッドでお願いします。
・どういった酷評が欲しいかをある程度具体的に告げたほうが酷評するほうも楽かもしれません。
・酷評依頼は作者本人なら誰でも出来ます。酷評依頼作品はオリジナルに限ります。
・酷評をもらいたくなくなったらスレッドを削除してください。
・酷評してもらった人は、「わざわざ読んでもらったうえに作品について考えてもらった」ということを忘れないでください。ただし、酷評をどう受け取ってどう生かすかは作者次第です。

《酷評をする人》
・酷評は作品スレッドへのコメントのみでおこなってください。スレッドが削除された場合は酷評しないでください。
・コメント内容は自由ですが、何を言っても許されるのでちゃんと率直な意見を言いましょう。特に「こうしたほうが良いのではないか」という点は積極的に言いましょう。
・必死で改善点を探している人に対し、自分の保身のためにお世辞を言うのは罪です。相手のためを思い、「嫌われても構わない」と覚悟してボロクソに言いましょう。

※スレッドで議論するのもいいでしょう。「どうすればもっと良くなるか」という点を貪欲に追い求めるなら何でもありです。

※酷評依頼が流れてしまうので、酷評依頼以外のコメントは各スレッドにお願いします。スレッドは自由に立ててもいいですよ。
 なお、酷評依頼やスレッド以外の新規コメントは容赦なく削除します。
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  • 【雑談スレ】
    雑談したい人はここに。
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    たまにトップ絵のイサク君について語りたくなります
    漫画でわかる聖書みたいな本では、自分が生贄だと知ると覚悟を決めるシーンがありましたが、この絵ではめっちゃ嫌がってますよね。
    抵抗したのか、しなかったのかずっと気になっています
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      あ、この絵ってあのシーンだったんですか、ぜんぜん気に留めてなかったです。(笑
      見た事あるなー、程度の認識で作者も知らない。有名な絵ですよね、たしか。我ながら知識が偏ってんなー、と。(笑
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        JUNさんのコメント見て聖書開いてみたんですが、イサクがいつ知ったのか、抵抗したのかしなかったのかは記述されてませんね~…。
         直前には、父のアブラハムに「全焼の生贄はどこにあるのですか」と聞いてるんですが、アブラハムは「神ご自身が備えてくださる」とだけ返してるんですよね。この会話でイサクが気づいたかどうか書かれていない…。さすがにお父さんに縛られた時点では気がついたと思いますけど、抵抗した・しないの記述がない。結局どうなんだろう。気になります。
         ただ、この話はイエス・キリストの雛形として考えられているので、イエスが十字架の前に何も抵抗をしていなかったのを考えると、イサクも覚悟を決めたんじゃないかなあ。これは個人的な考えですが。
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          > 品川カナンさん

          予想だにしていなかった真面目な返答ありがとうございます
          殺されなかったからいいようなものの、かなりのトラウマものですよね
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            > JUNさん

            聖書好きなんで…(^^;)長々とスミマセンw
            そうですよねー!イサクまだ子どもでしたものね
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              「象は鼻が長い」はどれが主語か、という話題が出たのでそれについて少しばかり。
              そもそも文法という学問が、構造が全く異なる英語からの借り物なので、日本人の意識の中には『英語的な意味での主語はない』というのが私の考えです。例えば、
              「今は町は静かだ」
              において、『今』と『町』は位置の交換が可能であり、全く同等の扱いなわけですが、英語The city is quiet now. では時間指定『now』は副詞にしかならず、空間指定『city』 と位置を交換することができない。このような状況では、city をきっぱり主語だとする『意味』があるわけですが、日本語では両者が同列。
              文法とはそもそも、『形の違い』を決定する、つまり正しい文を作成するために存在する学問であって、その意味で何らの差異を生み出さない『町』を『今』と区別して主語だと考えるのは本末転倒な訳です。
              では格助詞『は』の役割は何かというと、視野の限定作用――今、と限定したものを、さらに町で限定する(逆も可) (『が』は重ねることができない)
              もっとややこしい例で、
              『卓球は私が得意です』――卓球という『話題においては』、私が得意という『状況が存在する』―――『が』は『状況の存在』をあらわしているのではないかと。
              主語、という先入観にまみれた言葉を使わずに、両者を区別する必要があるんですけどね。(以上、独自研究です・笑)
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                さらにややこしい例を思いついてしまった・笑
                『彼女が好きなのは林檎である。』
                『彼女が好きなもの』という『話題において』、『それは林檎である』――これだと英語とさして変わらない。What she likes is an apple.
                こう考えると、『は』の方が『主語っぽい』と考えることができますね・笑
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                  実ははぐパンさんがよく批評でお使いになる公式っぽい解説が、私にはチンプンカンプンだったので勉強し直したのですよ。(笑
                  主語とか述語は言葉だけ、文節という漢字は勉強して初めて知りました。はぐパンさんの解説の意味がどうしてもキチンと知りたくて、その為に中学国語の参考書まで買いましたが、やり直してよかったですよ。それ以前は表現法が本当に滅茶苦茶だったんで。(笑
                  でー、今もまだ書かれている内容が一度読みだけでは漠然としか解からないもので、まだまだ勉強が足りないなと思ってたりします。
                  日本語は主語が二つあったり、述語が二つあったり、そもそも省略という観念があって文の前後から意味を導き出さねばならない、推理の要素が強い言語ですよね。和歌や俳句の影響らしいですが。一旦、文全体を見てから推理するというか。英語の文法を丸々適用出来ないという話はどの関連本にも書いてありますね。
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                    > 柿木まめ太@探さないでくださいさん

                    そうだったのですか。やはり日本語は難しいというか、英語のように論理明瞭でないので、私もわからない事がたくさんあるのですが、お役に立てたようで嬉しいです。
                    省略って概念は、英語と比較して初めて芽生えたものだと思うので、そもそも日本人の意識にはなかったと思うんですよね。口語だと特に顕著ですが。
                    例えば面倒な仕事をおしつけられて、「やってらんねえや」と言う時、そもそも主語ありませんよね。英語だと、''I can not take it" とか言う場面ですけれど。
                    それに対して、「じゃ、やらなくていいよ」と相手が言った場合――これも主語がありません。英語だと ''You don't have to do it"
                    「やってらんねえや」「じゃ、やらなくていいよ」――完全に会話として成立します。
                    それをわざわざ、「じゃ、君はやらなくていいよ」と『君』をつけると、伝達内容が変わってくる。「君は」と限定することによって、君意外の誰かがやる、君はやらなくても僕はやるからね、というニュアンスになったり。英語でこれをやるためには、"I will that job" と付け加えなければなりません。
                    このあたりからして、感覚が違うのですよね。
                    古文なんかだと、敬語の使い分けで明示しなくても動作主がわかっちゃう、なんて事があるわけですが、日常会話それで困らなかったわけだから当人達はおそらく、『省略してる』なんて思ってなかったと思うんですよ。傍からみたらミステリー以外の何物でもないわけですが・笑
                    色んな意味で意味で日本語は神秘的で面白いです。文法学者泣かせですけど・笑
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                      英語のようにを無理にやってしまうと、あっけらかんとしたものになってしまう、と国語学者の著書には書いてありましたね。文法らしきものをわざと壊すのが文学、みたいなことは作家の対談にありましたし。(笑
                      現在はますます海外の翻訳家泣かせな作家がわんさと出ているという話をしてましたが、解かりにくい内容でしたよ私には。(笑
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