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”日常のなにげないひとコマを描写した小説”という風に思いがちですが、実際のトコはどうなんでしょうか。
言葉通りに受け取って書いたら、それは”ダラダラとどうでもいいような平凡な生活風景を描き出した小説”にしかならないと思います。書き手がイメージと形容詞に騙されてしまう最たるモノで、本当のところ必要なのは地味さだけでしてね、言い換えれば、”英雄譚ではなく、摩訶不思議でもなく、ドラマチックな恋愛でもなく、悲劇の物語でもない”小説の総称だろうと思うんですね。
つまり、大袈裟な事件は何も起こらない。運命の出会いもないし、死体が転がったりもしないし、不幸が押し寄せたりもしないって程度の意味です。
日常、どこにでも転がっていそうなエピソードだけを扱い、それで登場人物の心の機微を描くということだと思ってます。それは、運命的な出会いで感じる胸のトキメキを、見知った知人が見せるさりげない仕草にも、同じように感じる事は出来る、というような事柄です。
戦時中だとかの大掛かりな舞台など使わずに、人間の喜怒哀楽を描き出すという意味です。
だから、ただ日常のさりげない風景を描きだせば事足りるという意味ではないと思うんですね。誰も、本当の意味でどこにでもある日常風景なんてものをわざわざ読みたくなんかない。そんなもの、疑似体験なんてしなくてもいつでも自分で経験出来てる。
誰でも経験している日常の中の、”見落としてしまっている何かの価値”を再確認させる、それを目的とすべきなのが、『日常系』という小説ジャンルだと思いますよ。
いたって普通の若いカップルが、いたって普通にデートをしている風景を描き、女の子の切ない気持ちだとか相手の男のちょっと焦った気持ちだとか、そういったトコロへ焦点を当てて書くのが『どこにでもあるなにげない風景』を書く、という事の本当の意味だと思います。以上。
事件が何も起きない間の3万字(まだ増える)、これを場ツナギするのに四苦八苦中。フラグは順調に立ってますが、推理小説難しいアルヨ。
事件が中盤から起きてくるタイプの推理小説ってのがまた、序盤が日常系の最たるモノだと知ったもんで論考してみた。